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煙を求めて幾千里

蒸気機関車を追いかけることに夢中だった青春時代。 その後の長い長い休眠期間を経て、復活した蒸気機関車を再び追いかけ始めました。自然の中を走りぬけていく姿が好きです。

トンネル情景 



C57180は連続する三つを次々と潜り抜ける
磐越西線 令和元年7月17日撮影


いよいよ戻ってきたC57180ですが、何といってもヘッドマークのつかない試運転、大好きな後追いは封印し、ただひたすら素顔を追い求めることに徹します。スタート時は定時運行だったもののその後はどんどん遅れていった試運転二日間、C57180はどこか調子の悪いところでもあったのでしょうか。

汽車と海 



小雨降る日は海も空もどんよりと
山陰本線 昭和49年3月21日撮影

地名坂を往く 



木々の緑に囲まれた薄暗い沿線
大井川鐵道 平成24年7月14日撮影

炭鉱の町 (2) 



炭鉱住宅のある鹿の谷を往く石炭列車
夕張線 昭和50年3月27日撮影


手前僅かに見える線路は北炭夕張鉄道線。ここ鹿の谷には北炭夕張鉄道の庫があり国鉄夕張線とも接続していました。ちょうどこの3月に北炭平和炭鉱は閉山、運ぶもののなくなった夕張鉄道線は4月1日に廃止されてしまうのでした。

雨上がりの蒸気 



梅雨の真っ只中、蒸し蒸しとした日
大井川鐵道 平成22年7月3日撮影

炭鉱の町 



残されたボタ山はかつてそこが石炭産業で栄えていたことの証
後藤寺線 昭和48年12月23日撮影


この時キューロクが運搬しているのは石炭ではなくて石灰。筑豊地方で多く見られたボタ山は炭鉱閉山とともに消えていったのですが、40年以上経ってこのボタ山はどうなっているのでしょうか。航空写真で確認すると、当然と言えば当然のことかもしれませんが姿形はなく住宅地が広がっていました。

家山寸景 



梅雨空の下で見る野守の池と汽車の白煙
大井川鐵道 平成27年7月4日撮影


野守の池は周囲1.2kmほどの皿池。何故家山の町近くにこれほどの池がと思っていましたが、どうも大井川の河跡湖のようです。そう言われてみれば対岸の湾曲具合がかつての川の蛇行を表しているようにも見えます。

水墨画の世界 



小雨降り、霧が川面に立ち込める
磐越西線 平成23年5月1日撮影

都城の煙 



貨物列車の先頭に立つのはC11
志布志線 昭和49年3月19日撮影


当時の都城駅は日豊本線から吉都線や志布志線が分岐していた鉄道の要衝。無煙化迫るこの頃でも、C55・C57・C58・D51と多くの種類の罐を見ることができました。運用上はC58となっていた志布志線では、時にC11が入線してくることもありました。

落日の印象 



その時汽車も眩しく輝く
磐越西線 平成24年8月25日撮影

追憶の鉄道 



アユ釣り人で賑わいを見せる根尾川に沿って走るモ二連
名鉄谷汲線 昭和56年夏 撮影

こあらまさんに触発されての一枚。
岐阜県西濃地方に位置する大野から谷汲までを結んでいた延長11kmほどの谷汲線。大正15年に開業し平成13年に廃止となりましたが、終着にある谷汲山華厳寺御開帳の際には列車を増発するなど結構賑わいをみせていたようです。それにしても煙一筋なのに何故こんな写真が残っているのでしょうか。たまにはちょっとローカルな鉄道写真でもと思い出かけていたのかもしれません。

忙中閑あり 



何を話すのか、交換待ち中の一服
日豊本線 昭和48年8月4日撮影

C12駆ける 



峠を越えれば足取り軽やか
明知線 昭和48年9月16日撮影


父親が運転する車の車窓から撮影した一枚。機関士と機関助士は並走するこちらを眺めながらほっと一息ついているようにも見えます。短い路線ながら丘陵地を走っているため大小いくつかの峠がある明知線でした。

林間を往く 



梅雨空の下、C11227は軽快なドラフト音を響かせやってきた
大井川鐵道 平成21年7月25日撮影

川面の風情 



水面眩しい加太川に沿って走るのはDD51が先頭の荷物列車
関西本線 昭和48年6月10日撮影


無煙化近づくこの頃の関西本線では、貨物列車の本務機のほとんどがDD51に置き替えられていました。そんなこともあって煙のないこともさることながら、D51が先頭のはずの荷物列車に招かざる客がついておりがっかりした記憶があります。回送だったのでしょうか。

C56160最後の力走 



初夏の日の午後、相も変わらずの薄煙でお別れ
北陸本線 平成30年5月27日撮影

早苗田の頃 



汽車の姿が水面に揺れる
北陸本線 平成26年5月25日撮影

プッシュプル編成 



千頭へ向かうC11227+旧客4両+逆C12164
大井川鐵道 昭和52年10月9日撮影


国鉄蒸気機関車が全廃されてから一年半ほど経った頃、C11の運行が始まっていた大井川鐡道でこの日はC12が後補機につくということなので出かけていました。それにしてもこの補機運行、全線通せばよかったものを何故千頭と駿河徳山の短区間だけだったのでしょうか。ネガを見るとこのカットの前に駿河徳山へ向かう単機C12164が写っており、そのあたりから色々と想像はされますが。

笹間渡の煙 



昭和の時代も今もここは絶好の撮影地
大井川鐵道 昭和59年10月28日撮影


C56の往く先にある第一橋梁の姿は今も相変わらずですが、茶畑広がる長閑なこの農村景観は道の駅ができたことにより劇的に変わってしまいました。

記念の一枚 



カメラ構える体が仰け反っていますが、いい写真を撮れたのでしょうか
北陸本線 平成23年6月5日撮影