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煙を求めて幾千里

蒸気機関車を追いかけることに夢中だった青春時代。 その後の長い長い休眠期間を経て、復活した蒸気機関車を再び追いかけ始めました。自然の中を走りぬけていく姿が好きです。

河畔の風景 



煙なくやってきたC58は門鉄デフのよう
志布志線 昭和48年12月26日撮影

残照 



日暮れ時の構内でC57は鈍く光る
都城駅 昭和48年12月26日撮影

斜陽 



午後の陽光が神社の石碑を照らす
大井川鐵道 令和5年9月18日撮影

街の汽車 



道路は踏切待ちの車で数珠つなぎ
大井川鐵道 令和5年9月18日撮影

終わらぬ夏 



彼岸近くでも暑さで客車の窓は全開
大井川鐵道 令和5年9月18日撮影

村の鎮守 



田んぼの中に小さな神社のお堂が浮かぶ
磐越西線 令和5年8月6日撮影

稲一のC50 



煙突の皿型火粉止めが特徴のC50143
稲沢第一機関区 昭和45年11月23日撮影


この時稲沢一区に在籍していたC50は101号機と143号機の2両、ナンバープレートは不鮮明ですがこれは143号機の方でしょう。稲沢一区ではこの5か月ほど前に武豊線のC11が、2か月ほど前に操作場入れ替えのキューロクが無煙化されており、構内で煙を出していたのは関西本線のD51と名古屋港線のC50だけでした。そのD51無煙化は翌年4月、C50は翌年7月ですので、稲沢一区で最後まで残った罐はこのC50だったということになります。C50143の廃車日は昭和46年9月30日、奇しくもその年の9月に稲沢一区を訪れていましたが当時はそんなことなど露知らず、構内でその姿を探すこともなかったのでした。

機関区の風景 



駅の跨線橋窓から機関区を小俯瞰
遠軽機関区 昭和50年3月29日撮影

遠軽駅の夜明け (2) 



白々としてきた空に出発の煙が立つ
石北本線 昭和50年3月29日撮影


早朝5時32分、発車待ちしていた1553レが駅を発車してきました。コンテナ貨物が多いようです。常紋の山越えに向け力強い発車です。

山峡を往く 



地形が急峻な川沿いの鉄路は橋脚3基の桟橋構造
磐越西線 令和5年8月5日撮影

旧街道を往く 



旧東海道の宿場町金谷を今日も汽車は走る
大井川鐵道 令和2年11月14日撮影

稲一のキューロク 



廃車の時を静かに待つ29643
稲沢第一機関区 昭和45年11月23日撮影


初めて訪れた稲沢第一機関区の構内に留置されていた29643、後ろにはもう一両のキューロクがいるようです。日本三大操車場の一つだった稲沢操車場、その広大なヤードで活躍するキューロクでしたが、昭和45年9月に無煙化されました。この時は無煙化されてまだ2か月ほど、もう少し早く来ていればその雄姿を見ることができたという訳です。残念。

初秋の農村 



33‰上り勾配が始まりC12は牛の歩み
明知線 昭和48年9月16日撮影

落日 



沈む夕日は空と汽車を赤く染め上げる
磐越西線 令和5年8月6日撮影

小踏切 



山あい集落の小さな踏切をC57は爆煙通過
磐越西線 令和5年8月5日撮影

場内勾配標 



工場へ繋がる線路には勾配標が立つ
ラサ工業宮古工場 昭和51年3月撮影


ラサ工業宮古工場の敷地内には多少起伏があったようです。工場内へ繋がるこの二線は工場側へ19.5‰と5‰の下り勾配となっていました。ということで工場から荷を牽き出してくる逆機C108は力行するのです。

場内配線 



C108は煙突が立つ工場から貨車を牽き出してくる
ラサ工業宮古工場 昭和51年3月撮影


ラサ工業宮古工場内には工場建屋に繋がるこの二線、そして左手山裾を工場奥の方へ入っていくもう一線と、全部で三本の線路が配線されていました。C108はそれぞれを忙しそうに往来していました。工場から牽き出してきた貨車が纏まると、連絡線を経由して国鉄山田線へ向かっていたのでしょう。

ラサ工業の煙 



工場の作業員はC108の仕業準備に余念がない
ラサ工業宮古工場 昭和51年3月撮影


当時許可を受ければ撮影ができたラサ工業宮古工場のSLでした。この日は工場入口でSL見学案内のチラシを受け取り、地図矢印に従ってこの機関庫へ。手元に残るチラシにはもちろん建屋内への立ち入りは禁止と書かれていますが、それ以外の制限は特になく結構自由に場内を歩き回ることができたようです。SLの運行は、5時~7時30分、12時20分~14時、19時~21時の一日3便でしたが、撮影できたのは時間的に第2便だけだったのでしょう。
有難かった工場からのそんな厚意もちょうどこの頃が最後となってしまいました。この後発生したSL部品盗難事件により、工場への立ち入りは禁止となってしまったのです。深夜闇に紛れて国鉄との連絡線を辿ってこの機関庫へ侵入したのでしょうが、いつの時代にもとんでもない輩がいるものです。

お召機予備機 



夏の日射しに映えるC56111
吉松機関区 昭和48年8月7日撮影


この年4月に開催された宮崎全国植樹祭のお召列車予備機だったC56111。この日は吉松駅ホームで入れ替え作業を眺めていました。まだまだ美しい姿で、ナンバープレートやロッドの朱も鮮やかです。

夏の夕陽 



沈む太陽は青田を眩しく照らす
磐越西線 令和5年8月5日撮影