煙を求めて幾千里

蒸気機関車を追いかけることに夢中だった青春時代。 その後の長い長い休眠期間を経て、復活した蒸気機関車を再び追いかけ始めました。自然の中を走りぬけていく姿が好きです。

機関区の風景 



夕陽を受けて休息中の機関車群
梅小路機関区草津転向給炭水所 昭和47年4月29日撮影


翳に浮かびあがるD51のナンバープレートと亀山区の区名表。そしてその奥で夕陽を浴びているのはDD51。SLは陰でDLは陽、それぞれの置かれている立場が象徴されているようです。この年の秋になると草津線ではお別れ列車が運行され、D51達はここから去っていったのでした。


怒涛の更新をしてきましたが、都合によりしばらくお休みします。

根釧原野を往く 



白一色だった大地にも春の気配が漂う
標津線 昭和50年3月25撮影


年が明けると「SL冬の湿原号」が運行されるそうな。こんな大雪原走るC11の姿を是非見てみたいものです。

2017キューロクの日 



9600三両、出発準備完了
後藤寺機関区 昭和48年8月3日撮影


三重連の仕業に備えて機関区で待機する9600群。眺めていると化粧煙突やパイプ煙突、デフありデフなし、そしてデフの形も異なっておりそれぞれに個性があります。三者三様とはまさにこのこと。

失念することなく、今日はキューロクの日でした。

最後の夏休み  



車内が満席のためか、連結デッキには親子連れの姿
日中線 昭和49年8月28日撮影

扇形庫 



端っこ、傷んだ木製扉の奥で静かに休んでいたのはデフ付きC12199
木曽福島機関区 昭和47年3月19日撮影


デフ付きと言いながら、暗い庫内そして真正面からではよくわかりません。現にこの時は全く気づいておらず、知ったのは後になってからのことでした。知っていれば庫に入りこんで撮影していただろうに。

単機が往く 



木曽谷を下って来たのはバック運転のC56
中央西線 昭和49年9月15日撮影


C56単機の現役蒸気編。中央西線ではD51が無煙化された後も、入れ替え作業を行うため木曽福島機関区のC56124が上松駅へ出向いていました。

2017ハチロクの日 



里に流れた8620の白煙
室木線 昭和48年12月27日撮影


一日遅れとなってしまった「ハチロクの日」。山口線D51200試運転の画像処理に追われすっかり失念していました。
御愛嬌ということで。

雪晴れの日 



黒と白、煙の競演
夕張線 昭和50年3月27日撮影


滝ノ上駅の交換でしょうか。ネガを見ると気動車が待機で貨物レの方が通過。駅通過前から続いていたD51の黒爆煙は、ここで一気に白爆煙へと切り替わりました。

真夏の白煙 



爽やかな青空が広がった朝
日豊本線 昭和48年8月5日撮影


盛夏とは思えない青井岳駅の光景。前日激しい夕立があり、一夜明けてもまだまだ湿度は高かったようです。そうでなければ哀れスカ発車となっているところでした。

牛の歩み 



小さなC12が小さな鉄橋を渡る
明知線 昭和48年5月27日撮影


煙の様子からでもわかると思いますが、33‰の上り勾配が続くため足を踏みしめるようにしてやってきたC12。背後の小山に登っていればもっと長い間そんな光景を眺めることができたのでしょうが、当時はどうしてもこの小鉄橋を撮りたかったようです。

荷物車の怪 



D51客レ、霧の中へと消えてゆく
吉都線 昭和48年8月7日撮影


何が怪なのかといえば荷物車の扉。どう見ても開いているようにしか見えないのですが・・・

大川峡谷晩夏 



旧第三大川橋梁を渡るC11
会津線 昭和49年8月25日撮影


昭和55年、大川ダム建設のためこのあたりから下流側はトンネルによる新線に切り替えられました。第三橋梁も増水を考慮し新橋に架け替えられています。
そして画像の方、この時は二カメ体制だったはずですが、手元に残っているネガはこの一カットのみ。どうやらもう一台の方はフィルム空巻きだったようです。

青春の残像 



夕陽を浴びてカメラ手にポーズ
都城駅 昭和48年12月26日撮影


昭和48年4月、晴れて高校へ入学し、念願だった一眼レフカメラを手に入れました。一歩大人へと近づき、と学校が休みになるたび蒸気機関車を求めて九州へ出かけます。また最後の年となった中央西線関西本線などへも足蹴く通い、振り返ってみればこの一年が蒸気機関車を撮影していた中で、一番充実していた時だったのかもしれません。画像の方はそんな高校一年生、青春真っ只中の自分がそこにいます。
あれから44年、馬齢を重ねるばかりですが蒸気機関車への熱い想いだけは当時のまま、気がつけば還暦となってしまう自分がまたここにいるのです。

C11お別れの日 



天候に恵まれたこの日、地元の人にとってはまるでお祭りのよう
樽見線 昭和47年4月16日撮影


C11が重連で走っていたとはいえ、当時はそれほど注目を浴びていなかった樽見線。さよなら運転が行われるという記事が新聞に載ったこと、客車二両を連結した混合列車となったことなどから、SLファンだけでなく多くの家族連れが訪れていたこの日でした。もう45年も前となった今日の出来事です。

三笠駅の日常 



本線では岩見沢へ向かうD51が待機、枝線では炭鉱から9600が下ってくる
幌内線 昭和50年3月28日撮影


駅から分岐する盲腸線で幌内炭鉱の石炭をピストン輸送していた9600。踏切上では炭鉱から到着した9600から鉄道員がタブレットを受け取ろうとしており、左手には旗を持つ踏切警手、中央奥には9600がこの後向かう給水塔も見えます。
三笠駅で繰り広げられていたいつもの光景。

春待つ岸辺 



川面吹く風に煙踊る
標津線 昭和50年3月25日撮影

ラサ工業の日常 



工場内の専用線、地元の人は往来自由
ラサ工業宮古工場 昭和51年3月


入れ替え作業をしているC108が停車中。その前を横切っていく和服の母親とランドセル背負う小学生の姿からすると、小学校では卒業式があったのかもしれません。
大井川鐵道SLフェスタではこんなラサ工業時代の姿となったC108でしたが、やはり前面に手摺まではついていなかったようです。

日向沓掛にて 



日没直前にやってきたのはC57169
日豊本線 昭和49年3月18日撮影


反射光放つナンバープレートは真っ白で機番は全く読みとれません。なんといってもここはギラリの定番地。この後は日向沓掛駅へ行き発車するC57169も撮影していますが、その時はもうとっぷりと日が暮れていました。
梨五郎さんそしてマイオさん、当時多くの方々が訪れていた名撮影地です。

加太越逍遥 (3) 



遠く大築堤をD51客レが下っていく
関西本線 昭和46年11月21日撮影


当然のことながら煙はなし。何故ここから咆哮するD51を撮らなかったのか、残念無念。

C108ラサ工業時代 



作業員は全面の手摺につかまり構内移動
ラサ工業宮古工場 昭和51年3月撮影


大井川鐵道SLフェスタでは、C108が昔懐かしいトラ塗り仕様で登場するようです。さすがにこんな手摺までは復元しないでしょうが。

加太越逍遥 (2) 



暑い夏の日、D51の煙は完全燃焼
関西本線 昭和47年7月30日撮影


手振れが酷くて見るに堪えられませんが、ここと同じ場所尚且つほとんど同じ頃ということなので敢えてのアップ。中学同級生との鉄移動だったこの日、暑さのためか加太越えまで歩くという発想は全くありませんでした。恐らく加太駅を発車してしばらくのところでしょう。

龍の如く 



風吹き荒れ、煙舞い踊る
室蘭本線 昭和50年3月28日撮影

加太越逍遥 



大築堤を登り終えたD51がやって来る
関西本線 昭和46年11月21日撮影


SLブーム真っ盛りだったこの頃、あまりの人の多さに圧倒されてしまった加太大築堤でした。結果こんなところでの撮影。どうも中在家信号所の方へ足をのばしていたようです。

木曽谷を往く 



木曽駒ケ岳から流れ下る渓谷は巨石の山
中央西線 昭和48年5月5日


電化開業が迫った頃、新製なったコンクリート橋梁ですので架け替え区間のようです。
あちこちのブログで中央西線を見かけましたのでつられてのアップとなりました。

出発の構図 



多くの腕木信号機が並ぶ都城駅構内、保線員は道床整備に忙しい
吉都線 志布志線 昭和49年3月20日撮影


都城は鉄道の要衝。左は吉都線13時27分発の1695レD51、右は志布志線13時43分発の495レC58。2面見えるホームは右側が日豊本線でしょうか。1695レの本務機D51に煙はありませんが次位C55は只今焚き込み中。吉都線の信号機腕木が下りていますので、もうすぐ発車の汽笛が鳴り響きそうです。

D60が往く 



暮れも押し詰まった筑豊の町、黄昏時に流れた淡い白煙
筑豊本線 昭和48年12月27撮影


今年も残すところあと僅か、この一年ご覧頂きありがとうございました。来年も引き続きこんなペース、画像一枚づつのシンプルなスタイルでやっていこうと思っています。よろしければまたお付き合い願います。

それでは皆様、よいお年をお迎えください。

形式入りナンバープレートC56 



入れ替え作業に忙しい124号機
木曽福島機関区 昭和49年9月15日撮影


昭和47年7月、中央西線からD51が消えると木曽福島機関区に残ったのは入れ替え用の罐のみ。この頃は最後の活躍の場を求めて、C56124が七尾機関区から来ていました。形式入りということでご多分にもれずナンバープレートの拓本をとりましたが、さてさてどこへいってしまったのやら。
C56の形式入りナンバーといえば、数字のならびがよかったこともありますが、「父ちゃんのポーが聞こえる」に登場していた124号機の姉妹機123号機のことを思い出します。結局撮影する機会はありませんでしたが、映画の方はこの1年程前、なぜか中学校の授業で観ていました。映画タイトルと重複していたこともあるのでしょうが、病床に伏す余命僅かとなった娘へ送る父親からの汽笛合図、「ポー ポッ ポー」の場面だけは忘れることができないのです。

ゼブラの残像 



無粋な警戒塗装も許せてしまう蒸気の演出
追分機関区 昭和50年3月27日撮影

冬晴れの朝 



寒空を悠々と飛翔しているのは鷹だろうか
吉都線 昭和48年12月26日撮影

流麗 



真綿のように白くて淡い煙
日豊本線 昭和48年12月24日撮影