煙を求めて幾千里

蒸気機関車を追いかけることに夢中だった青春時代。 その後の長い長い休眠期間を経て、復活した蒸気機関車を再び追いかけ始めました。自然の中を走りぬけていく姿が好きです。

心の旅 



汽車の中で続くそれぞれの旅
日豊本線 昭和48年8月4日撮影


昔流行った歌を聴いていると、その頃の記憶が甦ってくるものです。この年の夏流行っていたのはチューリップの「心の旅」。高校が夏休みに入る頃、こんな写真を撮るため夜行列車に乗り九州へ出かける日を指折り数え待ったことを思い出します。
♪ あ~あしたの今頃は 僕は汽車の中~ ♪

交換の構図 



加太越えに挑もうとするもの、そして静かに下ってきたもの
関西本線 昭和48年8月30日撮影


ここは鈴鹿山脈の懐に位置する加太駅、峠越えを控える荷41レは小一時間停車していました。その間、上り下り4本の列車と交換です。この荷41レを牽引するD51831ですが、除煙板にツバメマークが取り付けられているのが確認できます。

大隅半島盛夏 



シラス台地を往く長い貨物列車
志布志線 昭和48年8月5日撮影


志布志と都城を結んでいた志布志線、支線とはいうものの輸送量は結構あったようです。こんなシラス台地の長閑な風景の中を往く門デフC58が魅力でした。1987年に廃止されましたが、地形図で確認すると廃線敷の一部は自転車専用道になっています。

D51688 



真っ直ぐに立ち昇る黒煙、発車は間近
中央西線 昭和47年3月19日撮影


須原駅でしょうか。電化工事は着々と進んでおり、架線が張られるのも近いようです。このD51688の特徴といえば、何といっても進行方向左側の除煙板下部が切り取られていること。どんな理由があってこんな姿になってしまったのでしょうか。現在は岡崎市南公園に保存されており、保存協力会による定期的な点検清掃が行われているため罐の状態は大変良いようです。

是より北 木曽路 



第一木曽川橋梁を渡るD51
中央西線 昭和48年5月27日撮影


島崎藤村「夜明け前」の舞台となった中山道馬篭宿はここ落合川からすぐ近く。その馬篭宿のある旧長野県山口村は、平成の大合併により岐阜県中津川市へ越県合併しています。
それにしても見事なまでに何もない広い空。手持ちで撮ればよいものを三脚使用、大爆煙を期待しての一発勝負だったようです。

木造庫 



柱梁が方杖で補強された古い庫に留置中の12号機
北炭夕張鉄道 昭和50年3月27日撮影


鹿ノ谷の光景をもう一つ。北炭夕張鉄道で異形デフを装備した28号機は国鉄から譲渡された49650でしたが、この12号機は1926年夕張鉄道開業に合わせて9200形をベースとして新造された機関車。この時は既に廃車となっていたようです。細身のボイラーであり一見ハチロク風ですが、軸配置が1Dであることから性能としてはキューロク風となるのかもしれません。

北辺の異形デフ 



切り取りデフを装備した28号機
北炭夕張鉄道 昭和50年3月27日撮影


無煙化まであと数日と迫った鹿ノ谷の光景。庫の横では火を落としてテンダーも切り離された28号機がいました。この異形デフ、当時はてっきり国鉄から譲り受けた門鉄型デフだとばかり思っていたのですが、どうやら自社製作だったようです。

汽車ぽっぽ 



貨物列車がコトコト鉄橋を渡っていく
紀勢本線 昭和48年8月30日撮影


平凡でなんてことのない光景ですが、こんな煙を見ていると何かほのぼのとした気分になってきます。蒸気機関車の吐く煙は春夏秋冬や天候また勾配状況により千差万別、そんなことがこの趣味をやめることのできない理由の一つになっているのかもしれません。

機関区の風景 



秋の日は釣瓶落とし、黒い影が罐へと忍び寄る
稲沢第一機関区 昭和45年11月23日撮影


後方に見える給炭設備からすると無煙機関区と同じような所から撮影しているようです。稲沢第一機関区の無煙化は昭和46年4月、この時はそれまであと四ケ月と迫っていたにもかかわらず構内にはまだまだ多くの煙がみられ活気に満ち溢れていました。当時は無煙化の情報など露知らず、機関区を訪れていたのがこの一回きりだったことが悔やまれてなりません。

新緑の木曽路 



白煙を纏いトンネルから飛び出してきたD51
中央西線 昭和48年5月5日撮影


ここ南木曽・田立間の山口ダム湖沿いは、昭和48年7月の電化開業に伴ってトンネル新線へと切り替えられました。D51走る鉄道敷きはその後国道19号となり、今では自動車が行き交っています。

C11お別れの日 



さよなら運転はこの日限定の混合列車
樽見線 昭和47年4月16日撮影


46年前の今日の出来事でした。当時の樽見線は既にDC化されており、大垣電車区には客車の持ち合わせがなかったのでしょう。鉄道雑誌なのか新聞なのか、どこの情報を見たのか聞いたのかは定かでありませんが、この青客2両は同じ名古屋鉄道管理局の名古屋客貨車区?から借用したものだったというような記憶が微かに残っています。

潮騒 



テンダーには石炭満載、日本海に沿ってD51の旅は続く
山陰本線 昭和49年3月21日撮影


九州春撮影最終日の朝、西鹿児島からの夜行急行かいもんを下車すると筑豊の9600ばかりではということだったのか、山陰本線へと足を延ばしています。ここは下関からほど近い湯玉付近ですが、海を入れて撮影できるお手軽な場所でした。
この翌月になると宮崎機関区のC57は電化開業により淘汰されてしまい、九州での蒸気機関車撮影の魅力は半減。もうその地を踏むことはなかったのでした。

日向沓掛残照 



日暮時、古びた客車が鈍く光る
日豊本線 昭和49年3月20日撮影


この日の急行日南3号もここ日向沓掛で撮影していますが、画像はそのすぐ後にやってきた普通列車。今回最大の目的だった日南3号については、出来の方はともかくとして、天候にも恵まれる中予定通り四日間連続の撮影をすることができました。それに満足しながら次の撮影地を目指し、西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)へと向かうのです。

山峡のトラス橋 



夕陽に向かって驀進する急行日南3号
日豊本線 昭和49年3月19日撮影


青井岳駅に隣接するこの境川橋梁は、山の上から下から、そして橋の上流側から下流側からと様々なアングルで撮影することができました。これは山の上からになりますが、川風でも吹いていたのでしょうか、客車は煙に巻かれてしまいせっかくの急行編成がよくわかりません。

SL丙組31仕業 



飫肥杉の切り通しから現れたのは急行日南3号
日豊本線 昭和49年3月18日撮影


蒸気機関車牽引による日本最後の定期急行となった日南3号。当時奇跡とも言われたその復活劇の裏には、「蒸気機関車に花を持たせよう」という鹿児島鉄道管理局の粋な計らいがあったようです。昭和48年10月1日改正の宮崎機関区機関車運用表によれば、その仕業名は「SL丙組31」。優等列車といえば甲組を思い浮かべるのですが、乙組でもなくて丙組だったとは。

河口の朝 



さざ波立つ川面に朝日が射し込む
日豊本線 昭和49年3月17日撮影


門司港駅で乗車した夜行列車を高鍋駅で下車すると、二日目はここ小丸川の河岸からスタート。運良く日向灘からの日の出を拝むこともできます。目的の「急行日南3号」については、この日の大淀川橋梁を皮切りに四日間連続しての撮影に挑むのです。

中元寺川夕景 



後補機9600の煙が日暮れ空に浮かぶ
後藤寺線 昭和49年3月16日撮影


44年前の今日からスタートした春の九州撮影。その最大の目的は運行も終わりに近づいたC57牽引「急行日南3号」でしたが、初日はいうと九州入り列車の都合でどうしても筑豊の9600となってしまいます。田川線や後藤寺線を回って、これはその最終カット。この後は夜行急行みやざきの普通座席を確保すべく始発駅門司港へと向かいます。

日向路冬景色 



C57が牽引してきたのは貨車6両のみ
日豊本線 昭和48年12月25日撮影


田野駅を発車すると、後方に見える清武川橋梁までは下りこみでありC57はいたってのんびりムード。しかしここから青井岳まで16.7‰の上り勾配が延々と続きます。宮崎と都城間にはそのような難所があったにもかかわらず、丙線で重量制限があったこと、R200の急曲線が存在したこと、貨物量が少ないことなどから、D51ではなくC57などパシフィック機の独壇場となっていたのです。

かど松の構図 



鈴鹿川を渡る荷物列車
関西本線 昭和48年8月30日撮影


何故か今でもよく覚えています。四隅に松を配してみてはと、当時それなりに考えての構図だったのですが・・・ 
結局は目障りなだけでした。

高千穂峰遠望 



枯れ草も霜で凍てつく冬晴れの朝
吉都線 昭和48年12月26日撮影

なごり雪 



柘植駅を発車、逆単機で貴生川へ向かうC58
草津線 昭和48年3月25日撮影


前回の続きです。後藤型デフD51499の直後にやってきたのはC58312。小雪舞う中、同年代と思われるグループも撮影しています。皆さん今も蒸気機関車を追いかけているのでしょうか。線路右側には関西本線から分岐した通信線が写っていました。

異形デフとの出逢い 



小雪舞う中、柘植駅を発車してきたのは後藤型デフD51499
関西本線 昭和48年3月25日撮影


九州で多くの門鉄型デフに出逢ったのはこの年の夏。それまで見てきたのは標準デフばかりでしたので、この時は大変嬉しかったのではないでしょうか。
手前の線路は関西本線から分岐している草津線で、後方かすかに見える信楽線へ向かうC58逆単機がこの後すぐやってきます。見事なハエタタキも写っていますが、よく見ると通信線の向きは二方向。その方角や規模から察するに、線路と同様ここで分岐していたようです。

 



白々としてきた空の下、C57のキャブが浮かびあがる
日豊本線 昭和48年12月24日撮影


早朝の高鍋駅、夜行列車を下車した際の一枚ですが、残念ながらネガに残るはこのカットのみ。こんな時にはもっともっと撮影しておくべきでした。

幻のD51 



切り通しから現れたのは力行中のD51
山陰本線 昭和49年3月21日撮影


これを撮影して8ケ月ほど後、昭和49年11月に高校修学旅行で広島・萩方面へ行くこととなっていました。萩では自由時間があり、無煙化直前となったD51を撮影することができます。もう修学旅行の行事のことなどはそっちのけ、頭の中にあるのはD51のことばかりです。ところが何たることか、修学旅行の日程と国鉄スト権ストが重なってしまい、修学旅行は翌年の1月へと延期。山陰本線のD51はというと予定通り11月末に無煙化されてしまいましたので、楽しみにしていた撮影は叶わぬ夢となってしまうのです。当時は国鉄のストライキを恨んだものでした。

機関区の風景 



夕陽を受けて休息中の機関車群
梅小路機関区草津転向給炭水所 昭和47年4月29日撮影


翳に浮かびあがるD51のナンバープレートと亀山区の区名表。そしてその奥で夕陽を浴びているのはDD13。SLは陰でDLは陽、それぞれの置かれている立場が象徴されているようです。この年の秋になると草津線ではお別れ列車が運行され、D51達はここから去っていったのでした。


怒涛の更新をしてきましたが、都合によりしばらくお休みします。

根釧原野を往く 



白一色だった大地にも春の気配が漂う
標津線 昭和50年3月25撮影


年が明けると「SL冬の湿原号」が運行されるそうな。こんな大雪原走るC11の姿を是非見てみたいものです。

2017キューロクの日 



9600三両、出発準備完了
後藤寺機関区 昭和48年8月3日撮影


三重連の仕業に備えて機関区で待機する9600群。眺めていると化粧煙突やパイプ煙突、デフありデフなし、そしてデフの形も異なっておりそれぞれに個性があります。三者三様とはまさにこのこと。

失念することなく、今日はキューロクの日でした。

最後の夏休み  



車内が満席のためか、連結デッキには親子連れの姿
日中線 昭和49年8月28日撮影

扇形庫 



端っこ、傷んだ木製扉の奥で静かに休んでいたのはデフ付きC12199
木曽福島機関区 昭和47年3月19日撮影


デフ付きと言いながら、暗い庫内そして真正面からではよくわかりません。現にこの時は全く気づいておらず、知ったのは後になってからのことでした。知っていれば庫に入りこんで撮影していただろうに。

単機が往く 



木曽谷を下って来たのはバック運転のC56
中央西線 昭和49年9月15日撮影


C56単機の現役蒸気編。中央西線ではD51が無煙化された後も、入れ替え作業を行うため木曽福島機関区のC56124が上松駅へ出向いていました。