煙を求めて幾千里

蒸気機関車を追いかけることに夢中だった青春時代。 その後の長い長い休眠期間を経て、復活した蒸気機関車を再び追いかけ始めました。自然の中を走りぬけていく姿が好きです。

青春の残像 



夕陽を浴びてカメラ手にポーズ
都城駅 昭和48年12月26日撮影


昭和48年4月、晴れて高校へ入学し、念願だった一眼レフカメラを手に入れました。一歩大人へと近づき、と学校が休みになるたび蒸気機関車を求めて九州へ出かけます。また最後の年となった中央西線関西本線などへも足蹴く通い、振り返ってみればこの一年が蒸気機関車を撮影していた中で、一番充実していた時だったのではないかと思っています。画像の方はそんな高校一年生、青春真っ只中の自分がそこにいます。
あれから44年、馬齢を重ねるばかりですが蒸気機関車への熱い想いだけは当時のまま、気がつけば還暦となってしまう自分がまたここにいるのです。

C11お別れの日 



天候に恵まれたこの日、地元の人にとってはまるでお祭りのよう
樽見線 昭和47年4月16日撮影


C11が重連で走っていたとはいえ、当時はそれほど注目を浴びていなかった樽見線。さよなら運転が行われるという記事が新聞に載ったこと、客車二両を連結した混合列車となったことなどから、SLファンだけでなく多くの家族連れが訪れていたこの日でした。もう45年も前となった今日の出来事です。

三笠駅の日常 



本線では岩見沢へ向かうD51が待機、枝線では炭鉱から9600が下ってくる
幌内線 昭和50年3月28日撮影


駅から分岐する盲腸線で幌内炭鉱の石炭をピストン輸送していた9600。踏切上では炭鉱から到着した9600から鉄道員がタブレットを受け取ろうとしており、左手には旗を持つ踏切警手、中央奥には9600がこの後向かう給水塔も見えます。
三笠駅で繰り広げられていたいつもの光景。

春待つ岸辺 



川面吹く風に煙踊る
標津線 昭和50年3月25日撮影

ラサ工業の日常 



工場内の専用線、地元の人は往来自由
ラサ工業宮古工場 昭和51年3月


入れ替え作業をしているC108が停車中。その前を横切っていく和服の母親とランドセル背負う小学生の姿からすると、小学校では卒業式があったのかもしれません。
大井川鐵道SLフェスタではこんなラサ工業時代の姿となったC108でしたが、やはり前面に手摺まではついていなかったようです。

日向沓掛にて 



日没直前にやってきたのはC57169
日豊本線 昭和49年3月18日撮影


反射光放つナンバープレートは真っ白で機番は全く読みとれません。なんといってもここはギラリの定番地。この後は日向沓掛駅へ行き発車するC57169も撮影していますが、その時はもうとっぷりと日が暮れていました。
梨五郎さんそしてマイオさん、当時多くの方々が訪れていた名撮影地です。

加太越逍遥 (3) 



遠く大築堤をD51客レが下っていく
関西本線 昭和46年11月21日撮影


当然のことながら煙はなし。何故ここから咆哮するD51を撮らなかったのか、残念無念。

C108ラサ工業時代 



作業員は全面の手摺につかまり構内移動
ラサ工業宮古工場 昭和51年3月撮影


大井川鐵道SLフェスタでは、C108が昔懐かしいトラ塗り仕様で登場するようです。さすがにこんな手摺までは復元しないでしょうが。

加太越逍遥 (2) 



暑い夏の日、D51の煙は完全燃焼
関西本線 昭和47年7月30日撮影


手振れが酷くて見るに堪えられませんが、ここと同じ場所尚且つほとんど同じ頃ということなので敢えてのアップ。中学同級生との鉄移動だったこの日、暑さのためか加太越えまで歩くという発想は全くありませんでした。恐らく加太駅を発車してしばらくのところでしょう。

龍の如く 



風吹き荒れ、煙舞い踊る
室蘭本線 昭和50年3月28日撮影

加太越逍遥 



大築堤を登り終えたD51がやって来る
関西本線 昭和46年11月21日撮影


SLブーム真っ盛りだったこの頃、あまりの人の多さに圧倒されてしまった加太大築堤でした。結果こんなところでの撮影。どうも中在家信号所の方へ足をのばしていたようです。

木曽谷を往く 



木曽駒ケ岳から流れ下る渓谷は巨石の山
中央西線 昭和48年5月5日


電化開業が迫った頃、新製なったコンクリート橋梁ですので架け替え区間のようです。
あちこちのブログで中央西線を見かけましたのでつられてのアップとなりました。

出発の構図 



多くの腕木信号機が並ぶ都城駅構内、保線員は道床整備に忙しい
吉都線 志布志線 昭和49年3月20日撮影


都城は鉄道の要衝。左は吉都線13時27分発の1695レD51、右は志布志線13時43分発の495レC58。2面見えるホームは右側が日豊本線でしょうか。1695レの本務機D51に煙はありませんが次位C55は只今焚き込み中。吉都線の信号機腕木が下りていますので、もうすぐ発車の汽笛が鳴り響きそうです。

D60が往く 



暮れも押し詰まった筑豊の町、黄昏時に流れた淡い白煙
筑豊本線 昭和48年12月27撮影


今年も残すところあと僅か、この一年ご覧頂きありがとうございました。来年も引き続きこんなペース、画像一枚づつのシンプルなスタイルでやっていこうと思っています。よろしければまたお付き合い願います。

それでは皆様、よいお年をお迎えください。

形式入りナンバープレートC56 



入れ替え作業に忙しい124号機
木曽福島機関区 昭和49年9月15日撮影


昭和47年7月、中央西線からD51が消えると木曽福島機関区に残ったのは入れ替え用の罐のみ。この頃は最後の活躍の場を求めて、C56124が七尾機関区から来ていました。形式入りということでご多分にもれずナンバープレートの拓本をとりましたが、さてさてどこへいってしまったのやら。
C56の形式入りナンバーといえば、数字のならびがよかったこともありますが、「父ちゃんのポーが聞こえる」に登場していた124号機の姉妹機123号機のことを思い出します。結局撮影する機会はありませんでしたが、映画の方はこの1年程前、なぜか中学校の授業で観ていました。映画タイトルと重複していたこともあるのでしょうが、病床に伏す余命僅かとなった娘へ送る父親からの汽笛合図、「ポー ポッ ポー」の場面だけは忘れることができないのです。

ゼブラの残像 



無粋な警戒塗装も許せてしまう蒸気の演出
追分機関区 昭和50年3月27日撮影

冬晴れの朝 



寒空を悠々と飛翔しているのは鷹だろうか
吉都線 昭和48年12月26日撮影

流麗 



真綿のように白くて淡い煙
日豊本線 昭和48年12月24日撮影

山峡のトラス橋 



緑の山に浮かぶ白煙と赤橋
日豊本線 昭和49年3月20日撮影

給水塔のある風景 



給炭台に給水塔、そしてツリーとまるで模型の世界
会津線 昭和49年8月25日撮影


ここ会津田島駅で折り返しをするC11、人力転車台で方向転換を終えるとまずは一休みです。機関士と機関助士は給水塔左手の職員詰所で休憩中のことでしょう。この後しばらくしてから給炭作業が始まります。
相生線北見相生での給水塔風景はこちらからご覧頂けます。

常紋信号場 



D51はスイッチバックを終えるとほどなくして発車
石北本線 昭和50年3月29日撮影


画面左下には放置された三脚が見えます。信号場へ入ってくるD51をここでまず一撃、そしてこの発車を狙うためカメラだけを抱えて奥の方へと走っていったようです。
これは9600が既にDL化された後の風景、多くの罐で賑わっていた頃の信号場風景はこちらからご覧頂けます。

築堤を往く 



石炭を満載したセキが炭鉱から静かに下ってきた
夕張線 昭和50年3月24日撮影

始発乗務 



磨きあげられたキャブ、そしてスポーク動輪の均整美
吉都線 昭和48年12月25日撮影


都城駅で発車待ち中の吉松行き客629レ、運用上はD51となっていますがこの日はC5557でした。下向く機関士は運行表の最終確認でもしているのでしょうか。
なおタイトルはぎんちゃんから頂いています。

平成28年キューロクの日 



門デフを装備した59684が静かにやってきた
田川線 昭和49年3月16日撮影


この59684、調べてみると昭和49年12月17日にここ田川線で蒸気最終列車の貨5495レを牽引していました。またその5日後は筑豊本線でさよならSL列車を牽引。どうやら九州では最後まで残ることができた記念すべき9600だったようです。現在は田川市の石炭・歴史博物館という蒸気機関車にとってこの上ない場所に保存されており、大変幸運な罐といえます。
今日は9月6日、キューロク記念日でした。

会津盆地晩夏 



稲穂が頭を垂れ始めた頃
日中線 昭和49年8月27日撮影


今から42年前の今日の日中線風景です。連結部では録音をしている人、窓から身を乗り出し撮影をしている人、そしてそんな光景を撮影している人。それぞれにとって最後の夏休みのひと時でしたが、会津のC11にとっては最期の夏でした。

ハチロクの日 



ここを行き交うのは8620牽引の客レだけ
室木線 昭和48年12月27日撮影


今日8月6日は「広島原爆の日」、そしてこの界隈では「ハチロクの日」。
この頃の室木線は毎日が「ハチロクだけの日」でした。

盆地の朝 



朝霧が消え、雲一つない青空広がる
吉都線 昭和48年8月7日撮影


同じように斜光となる朝日と夕日。どちらも眩しくはありますが、朝日の眩しさには力強さを感じます。

煙の構図 



強い横風に煽られ一の字
室蘭本線 昭和50年3月28日撮影

美濃本巣駅でのこと 



C11は逆機がお似合い
樽見線 昭和46年12月19日撮影


この日は父の車に乗せてもらい美濃本巣駅へ来ました。広い構内には貨車の組成を終えたC11358が逆機で佇んでおり何枚かをスナップします。その後発車は撮影しましたが残念ながらネガに残っているのはそこまで。父に何か用事があったのか、はたまた次の貨物レまで時間がありすぎたのか、今となっては記憶なし。束の間に終わってしまったC11との出逢いでした。
ちょうどこの反対側から撮影した同機の様子はこちらから見ることができます。

複々線を往く 



やってきたのは残り少なくなったD60
筑豊本線 昭和48年12月27日撮影


この1796レ、SLダイヤ情報によると運用はD51となっていますがこの日はD60。
当時の折尾と中間の間は、複線の筑豊本線と鹿児島本線からの短絡線が並んでおり一見複々線のように見えます。撮影場所は筑豊本線下り線が鹿児島本線上り線をオーバークロスする地点の折尾側だと思われるため、4本ある線路は右から順に筑豊本線上り線・下り線、鹿児島本線上り線・下り線となるのでしょう。