FC2ブログ

煙を求めて幾千里

蒸気機関車を追いかけることに夢中だった青春時代。 その後の長い長い休眠期間を経て、復活した蒸気機関車を再び追いかけ始めました。自然の中を走りぬけていく姿が好きです。

白煙を纏って 



加太隧道から飛び出したD51
関西本線 昭和46年11月21日撮影


初めて蒸気機関車の走行写真を撮影したこの日、トンネルから飛び出すD51をファインダー越しに眺めながら夢中でシャッターを切っていたら流し撮りになっていました。よく見ると集煙装置で煙突出口が閉じられたことにより、白煙は真っ直ぐ後方へ流れていることが確認できます。集煙装置の効果がよくわかる写真なのでしょう。

名勝「寝覚めの床」 



木曽川の流れに沿って走るD51はやはり無煙
中央西線 昭和47年3月19日撮影


煙がなくてよくわかりませんが、さてさてD51はどこにいるのでしょう。ここで目が覚めるような煙を見たいのなら、やはり下り列車狙いに限ります。

D51453 



濃い霧に包まれた朝の京町駅を発車、こんな時は青天間違いなし
吉都線 昭和48年8月7日撮影


「朝霧は晴れ」とはよく言われますが、特に盆地ではそれが顕著となります。加久藤盆地に位置しているここ京町、その言葉通り二時間も経てばこんな具合となりました。
D51453についてはマイオさんへのコラボということで。

お別れの日 



豪華な装飾とナンバープレートの青が鮮やかなC11155
樽見線 昭和47年4月16日撮影


当時名古屋鉄道管理局管内の蒸気機関車は、ナンバープレートに彩色が施されていました。理由としては現在行われているような装飾が目的ということではなく、ひとつの線区の中で機関車の所属区が一目でわかるようにという実用面からだったようです。名古屋は赤、稲沢は黒、大垣は青、美濃太田は赤、米原は緑、中津川は青などといった具合です。実際この目で見ることができたのは大垣の青、稲沢の黒、中津川の青だけでしたが。
47年前の今日は、その大垣電車区の青ナンバープレートC11にとって最後の日。美しく仕上げられ飾りつけられたその姿に区職員の方々のこの日に対する思いが感じとれます。

春の夕陽 



D51の下り貨物レ、右手に東海道本線が見えるとほどなくして草津駅へ到着
草津線 昭和47年4月29日撮影


画面左手に見える新しいコンクリート高架橋が気になりました。調べてみると昭和44年11月に完成した京都方面から草津線へ直通運転するための高架橋で、この少し奥で東海道本線をオーバークロスしているようです。気動車・電車化されると線内折り返しが主となってしまった草津線ですが、無煙化前のこの頃はD51に牽かれてきた多くの客車列車や貨物列車がここ草津でEF58にバトンタッチされ京都方面へ向かっていったのでした。

残雪の鉄路 



夕張鉄道との並走区間を往くD51貨レ
夕張線 昭和50年3月27日撮影

入替の風景 



雪どけ水でぬかるんだ構内に響き渡るキューロクのドラフト
追分機関区 昭和50年3月24日撮影

南国の春 



菜の花とすっくと伸びたシュロの木一本
日豊本線 昭和49年3月20日撮影

C11165 



青ナンバープレートに小工式除煙板を装備したその優美な姿
志布志機関区 昭和48年8月6日撮影


先般大井川鐵道ナイトトレインに乗車した際、C11190に装備されている小工式除煙板の製造工程が紹介された小冊子を頂きました。それによるとベースとしているのはC11254。お召機ともなったこのC11165の除煙板はC11254と同じK7タイプとなりますが、よく見てみるとボイラーへの取り付けステーの形状は大きく異なっているようです。

凍夜 



次の仕業に備え静かに休むキューロクたち
帯広運転区 昭和50年3月25日撮影

夜行鈍行「からまつ」で道東から道央への移動途中、帯広駅停車中に撮影した一枚だと思われます。長い停車時間があったのでしょう。

日向の里 



飫肥杉の木立が点在する長閑な農村を往く
日豊本線 昭和49年3月17日撮影

道東の煙 



原野に架かる鉄橋をC11が渡ってゆく
標津線 昭和50年3月25日撮影

冬田を往く 



逆キューロクが築堤を力行中
後藤寺線 昭和48年12月23日撮影

水面の風情 



大淀川を挟む宮崎と南宮崎間だけのC57逆機
日豊本線 昭和49年3月18日撮影

常紋への道 



峠まではあと僅か
石北本線 昭和50年3月29日撮影

 



火を落とし休むC5694
木曽福島機関区 昭和47年3月19日撮影


このC5694、調べてみると昭和12年3月12日の日立製。白山区に新製配置され、その後横浜区、飯山区、上諏訪区、長野運転所などを経て、昭和48年11月8日に廃車とあります。長野運転所時代には浜田区や中込区が借入れをしていました。経歴によればこの時点では上諏訪区にいるはずなのですが、何故か配属記録のないここ木曽福島機関区に。上諏訪地区の入れ替え無煙化は昭和47年3月14日、上諏訪区から長野運転所への転属が昭和47年4月1日。この日はちょうどその間となりますので、その辺りに何らかの理由があるのかもしれません。
ところでこのC5694最後の大仕事は、小海線無煙化後の昭和48年7月から9月に亘って11日間復活運行された「高原のポニー号」の牽引。当時はまだまだ多くの蒸気機関車が全国的に活躍していたという状況ではありましたが、そんなことを差し引いたとしてもファンによる国鉄総裁への請願によりSLを走らせてしまったという、まさに驚くべきそして喜ぶべき出来事でした。

33‰の道 



目一杯の煙を吹き上げやってきたC12
明知線 昭和48年7月26日撮影


33‰の急勾配が続く明知線ですが、天をも焦がすほどの煙にはついにお目にかかることはありませんでした。いつも荷が軽かったからなのでしょうか。それとも機関士の腕が良かったのでしょうか。はたまた罐の状態が良かったからなのでしょうか。

大淀川の朝 



C57客レの橋上シルエット
日豊本線 昭和48年12月25日撮影


45年前の今日、クリスマスの朝は宮崎で迎えましたが、ちょうどその頃大雪となっていた七尾線では素晴らしいクリスマスプレゼントがあったようです。その日の朝ここ大淀川では何も起こらず、翌日一日遅れてようやく貰ったプレゼント、突然のサプライズも残念ながら活かすことができませんでした。

日向路のハドソン 



こうべ垂れる稲田の中を軽快に走るC61
日豊本線 昭和48年8月4日撮影


全般検査期限迫る宮崎区のC57置き換え用として青森からやってきたC61。当初はその出力面から宮崎以西の山間部を候補としていたようですが、25‰の連続勾配区間ではストーカー機能が十分発揮できないことが判明、山越えのない平坦区間での使用に変更されたということです。そしてそのストーカーの方ですが、このように軽快に走ることができたためでしょうか、多くの機関助士は手焚きで済ましてしまい、結局のところ使われることは少なかったといいます。

入替の風景 



発車に備え貨車の引き出しを行うC58260
都城駅 昭和48年12月25日撮影


この日の志布志線495レを牽引する罐はC58260。発車時刻が近づいてくると編成された貨車を操車掛の誘導により構内端まで牽引し、そのままバック推進で出発線へと入線していきます。眺めていて飽きることのない光景でした。

黄昏の重連 



薄暮に浮かぶテールランプと腕木信号機の赤灯
吉都線 昭和49年12月26日撮影


ネガの状態は悪いですが風情があるということで。このような日暮れ直後の頃、今では好んで撮りたい時間帯となっています。

冬晴れの朝 



切通し坂道を門デフD51が白煙引きやってきた
吉都線 昭和48年12月26日撮影

出発の構図 



架線ビームを貫く一条の煙
日豊本線 昭和49年3月17日撮影


電化開業迫った高鍋駅での光景。右側側線に待機している貨物列車は、後続の客車列車に道を譲ります。そしてその客車列車、石炭を炊き込み中で発車が迫っているようです。

機関区の風景 



19線を擁する大扇形庫の横で佇むC12167
奈良運転所 昭和48年9月15日


関西本線無煙化まであと半月と迫った頃の奈良運転所風景。かつては多くの蒸気機関車で賑わった扇形庫の中もこの日はがらんとしており、D51一両と数個の動輪が転がっているだけでした。そして扇形庫横で佇むはC12167号機。この後吉松区へ転属し南延岡区で廃車となりましたが、現在若桜鉄道で保存運転されているのはご存知の通りです。

力闘の証 



D51の苦闘、安全弁から噴出し続ける蒸気
室蘭本線 昭和50年3月24日撮影


先頭に就くD51、牽引定数一杯なのか速度は全く上がりません。復活蒸気ではなかなかお目にかかることのできない光景です。
安全弁はボイラーが最高使用圧力以上になった時に蒸気をボイラーから抜く装置であり、こういう状態になるということは必要以上に石炭が焚かれているということになります。そんなことから蒸気機関車の全盛期には、安全弁を噴出させるのは貴重な燃料の浪費(一分間噴出させ続ければ石炭の損失が15kg)になるということで、強く戒められたといいます。

出発の煙 



電化近づく頃、林立する架線柱の中からC57が顔を出す
日豊本線 昭和48年12月24日撮影

追分の朝 



駅を覆いつくすほどの豪快な煙とドレーン
室蘭本線 昭和50年3月27日撮影

砲金製区名板 



磨き込まれたキャブとプレート類
日豊本線 昭和49年3月17日撮影


窓下に並ぶナンバープレートやメーカーズプレート、そして宮崎区の区名板。C57112は優美なK-7型門鉄デフを装備していますが、そんなデフが写っていなくてもこれだけで粋で美しく見えます。それはよく磨かれたキャブやナンバープレートだからということもあるのでしょうが、どっしりとして落ち着いた輝きを放つ砲金製の区名板によるところも大きいと思うのです。南九州だけで見られたこの砲金製区名板、美しい罐を更に格調高くみせてくれます。

2018キューロクの日 臨時増刊 



機関区に佇む南国のキューロク
後藤寺機関区 昭和48年8月3日撮影


奥にはこぢんまりとした木造機関庫と給炭給水設備、キューロクが佇んでいる構内は小綺麗です。九州の罐は総じて美しく磨かれていましたが、機関区もまたしかりということでしょうか。

2018キューロクの日 



湖畔沿いを往く北辺のキューロク
湧網線 昭和50年3月30日撮影


デッキ部に雪が溜まらないよう切り詰められた特徴ある北海道型除煙板。横から眺めていると余りにも小さすぎるため除煙板がないようにも見えます。サロマ湖、オホーツク海、能取湖等の沿岸を黙々と走ってきたそんな老兵にも、いよいよ最後の時が迫っていた早春です。

えっ、一枚足りないって?拙ブログは一日(毎日ではありません)一記事一画像がモットー。でもそんなことがたがた言わずに、大盤振る舞いで南国キューロクの臨時増刊号を即日発刊することとしましょうか。

このところ自然大災害が続いている日本列島ですが、今日未明この北辺では大地震が発生。被災地の一日も早い復旧復興を願うばかりです。